ハードマンズ-リネンのロールスロイス
ハードマンズHerdmans社は1835年に設立されたアイリッシュリネンの紡績メーカーです。ヨーロッパでも有数のリネンの紡績メーカーでした。ハードマンズ社はそのリネンの品質の高さから「リネンのロールスロイス」とも云われたのです。
北アイルランドは現在のフランスノルマンディー地方同様にリネンの原料であるフラックスの栽培に適していて、リネンメーカーが次々と作られてきました。北アイルランドのサイオンミルズに作られたのがハードマンズの工場です。
アイリッシュリネンも元々はアイルランド産のフラックスを使っていたそうですが、実際にはハードマンズ社も多くがフランスやベルギー産のフラックス原料を使っていたとのことです。
しかし、高品質を極めたハードマンズ社も大量生産型の市場に合わすことができずに2004年にその歴史を閉じました。
今日、日本においてアイリッシュリネンを名乗るルーツはハードマンズの名前に由来する、といってもいいでしょう。ハードマンズの名前を使うことにより、「アイリッシュリネン」は高品質のリネン生地として名前だけが残りました。つまり産地名表記というよりは、ブランド名として残ったのです。
サイオンミルの工場では、社会改革者のロバートオーウェンの理論と研究に大きく影響され、工場労働者とその家族の福祉のために宿舎や学校をつくるなど、ハードマンズ家の人々は地域に貢献してきたのです。
Wikipedia(UK)に載っています。こちら
Youtubeにもハードマンズやサイオンミルの歴史の動画があります。
その後のハードマンズ・リネン
ハードマンズSA SouthAfrica
ハードマンズ社は南アフリカのIDCという政府系の会社によって子会社となり、アイルランドのサイオンミルで使用していた17台の紡績機は南アフリカに移され、ハードマンズの名前で生産を始めました。これをハードマンズSAとします。ハードマンズSAのサイト(かつてありました)をみていると麻番手では14~66が出荷可能としていますが、実際出回っている生地を見ても40番手あたりが多いようです。60番手以上は難しいらしい、という情報も聞きました。
結局、南アフリカのハードマンズSAは満足な品質の糸を作ることができずに、会社は無くなってしまったとのことです。現在、イギリスのHerdmans本家とブランド契約を結び、ハードマンズの名前を使えるのはハードマンズCHINAのみです。
技術の伝承で生まれ変わったハードマンズCHINA
一方、ハードマンズ家のライセンスを受け、その技術を移転してハードマンズは中国で紡績を再開しました。湿式紡績機そのもの自体はどこにでも手に入るものであり、問題は品質の高いフラックス原料を調達するノウハウ、それを使って細番手の良質な糸を作るノウハウになります。そのノウハウを使って紡績されたものがハードマンズCHINAです。
最初は中国?と思ったのですが、もともと帝国繊維さんのクラブハードマンの生地を作っていたのがこの会社なのです。私の会社では 100番手(LI100)、80番手(LI80C,LI80S)、60番手(LI60)、40番手(LF40)の生地の糸は全てハードマンズCHINA(上海柳川大橋麻業)で、生地に仕上げる製織は日本もしくは中国で行っています。
一般的に多く出回っているリネン生地は40番手のものがほとんどです。60番手以上、特に100番手以上ともなると、最高級のフラックス原料に高度な湿式紡績の技術がないと紡績することはできません。かつてハードマンズのサイオンミルズでは140番手という極細のリネン糸があったそうですが、80番手、100番手でも良い原料を使わないと紡績ができません。
品質は番手だけではありません。下の画像は右側が湿式紡績糸、左側が乾式紡績糸ですが、左側の方があきらかに毛羽が多いのがわかります。上質なリネン糸は湿式紡績が必須ですが、これも原料が悪いと毛羽が多くなります。
一度リトアニアのシウラス社に60番手の生地を作ってもらったことがありましたが、毛羽が多く使い物になりませんでした(シウラスも湿式紡績です)。当時はなぜか判らなかったのですが、それは原料の選別と紡績と仕上げの技術によるものでした。
シウラス社の名誉のために云いますと、取引先がヨーロッパの雑貨製造などインテリア系が多く、製造しているのが40番手、25番手などが中心だったためで、細番手の糸は普段から生産が少なく、原料調達を含めて苦手だったためだと思われます。